♪うたのはについての私の想い・・・少しだけ・・・♪
娘の持つ障害に感謝する・・・とまでは、まだまだなれない。
けれど、「受け入れること」はやっとできたように思う。
それまでは、「娘の存在の意味」を毎日考えていた。
「なぜ障害をもって産まれたの?」
「なぜわたしの子どもとしてやってきたの?」
「わたしになにかを教えてくれてるの?」
「わたしはこの先この子の母としてどう生きていけばいいのかな」
ずっとずっと真っ暗闇の中で考えた結論は・・・・
「この子はここにいる」「この子はかわいい」「この子とずっと一緒にいたい」
「それだけでいいのではないか・・・・」
その時、こんなふうに思えたことが幸せでしかたなかった。
トンネルはいくつもあって、抜け出したと思って喜べば
さらに次のトンネルに迷い込んでいるものだ。
この時に抜け出たトンネルは深くて重く、長く苦しかった。
わずかな光も見せてくれないかに見えた。
そのトンネルから抜けたときの目に映るものの色がどれだけ鮮やかだったことか。
「もう、次のトンネルなんか怖くない」
そう思えるほど、わたしの心は明るく弾んでいた。
振り返れば、幼い頃からの私自身におこった悲しかった出来事が
もしもひとつでも欠けていたとしたら
わたしは娘の持つ障害を受け入れられなかったかもしれない。
だから、その出来事にまで感謝した。
そのくらいに幸せを感じた。
子どもの持つ障害についてだけでなく、健常のお子さんの子育てにおいても
もしも悲しい思いをしている人がいたなら手をつなぎ寄り添い、そばにいたい。
一緒に元気になる方法を探したいと思い、スタートさせたのが「うたのは」。
かつて子どもであった自身の心の声
今の母親としての想い
それを取り巻くまわりの人たちの姿・・・
拙い詩だけど・・・作りものでない本当の気持ちを歌にしてみたものばかり。
できるかぎりの言葉と心で誠実に
同じ想いのあなたにお伝えできればと思う。
うたのは くにいかよこ